Column

世界の海辺

第2回
イギリス・ワイト島
カウズ

矢部 洋一 [ヤベヨウイチ]

1957年11月11日生まれ。海をフィールドとしてヨット、ボートの写真撮影を中心に、国際的に活躍するフォトグラファー。写真だけでなく、記者、編集、翻訳などの仕事を精力的にこなす。
●株式会社 舵社・チーフフォトグラファー
●有限会社 オフィスイレブン代表取締役
●英国王立オーシャンレーシングクラブ誌「シーホース」特約記者

第1回を載せていただいてから、あっという間に3ヵ月が過ぎてしまった。せっかく素敵なページを作っていただいているのに更新が遅れ、まことに申し訳ありません。

言い訳がましいが、このブランクの間に大変面白いテーマの撮影をしていた。宮城県の唐桑町というところに今も現役で仕事を続ける船大工の岩渕文雄さんという棟梁がいる。ここ数年、本や雑誌やテレビで取り上げられたり、2004年は大阪、名古屋のイナックス・ギャラリーで棟梁の仕事を紹介する展覧会が行われたりと、大分有名になっているのでご存知の方もいらっしゃるだろう。

この岩渕棟梁に、私のいつも世話になっているヨットオーナーが舟を注文した。注文したのは全長およそ20尺の快速木造櫓漕ぎ和船である。

この舟の起工から完成までの製作工程を棟梁の工場に寝泊りしながらひとつひとつ撮影させてもらっていた。

強度の必要な構造材はヒノキ、その他の側面の板(「たな」と呼ばれる)や板子(床板)などは杉が使われた。昔から伝わる工法を用いて棟梁一人で作り上げるその舟は実に美しく、「やっぱりにっぽんの伝統的な舟はいいなあ」とため息をつかせるに十分であった。しかも推進力は櫓。この櫓がまたいい。一人で漕いでもスピードは3ノット(およそ5キロちょっと)くらい楽に出る。聞こえるのは船が波を切る音だけ。そのゆったりとしたスピードと音の静けさは人の心を限りなく癒してくれる。おかげで木の偉大さ、木の舟で海に出ることの喜びを存分に味わい、にっぽんの舟文化の奥深さを再認識した。

棟梁の工場がある唐桑の海もすばらしい。豊饒なるリアスの海である。近々このシリーズでご紹介したい。

前置きが長くなったが、第2回です。

最初にアメリカのヨットのメッカ、ニューポートを取り上げたので、今度は大西洋を渡った向こう側、イギリスのヨットのメッカ、ワイト島カウズに行ってみたい。

ワイト島はイギリス南部のちょうど真ん中あたり、本土とごく近い距離にある小さな島である。島の全周はおよそ90キロメートル。このワイト島と本土との間はソレント海峡という狭い海峡で、潮が速い。昔からヨットレースが盛んに行われてきた海である。

ワイト島へはロンドンからなら、車か電車でサザンプトンという大きな港町へ行き、そこからレッドファネル(赤い煙突)と呼ばれる高速連絡船に乗ってカウズの町へ渡るというのが一般的な行き方になる。カウズはワイト島の中心をなす小さいが雰囲気のまことに良い町だ。

この町は夏になるとヨットマンの町と化す。特にカウズウイークという毎年恒例のヨット・レガッタが行われる8月の初旬は数千人のヨット乗りが町を埋め尽くし活況はピークに達する。ちなみに、カウズウイークの始まりは1826年と古い。以来今日まで180年近く続いており、毎年1,000隻前後のヨットがこのレガッタに参加するためにカウズに集まってくる。そして数万人という観光客がこのレガッタの見物がてら夏のバケーションを楽しみにやってくる。そう、カウズは夏の人気の観光地でもあるのだ。

カウズとアメリカ・ニューポートとは因縁浅からぬ仲にある。世界最高峰のヨットレースとして知られるアメリカズカップ。同カップは150年を超える長い歴史の中で、その3分の1にあたる53年間はニューポートを舞台に行われた。しかしその発祥の源はイギリス・カウズで行われたヨットレースだった。

1851年、大英帝国が世界の海を支配しその繁栄を謳歌していた時代に、ロンドンでは万国博覧会が華々しく開催された。この万博を機に、イギリスのロイヤルヨットスコードロンという格式の高いヨットクラブが、当時新興国だったアメリカのニューヨークヨットクラブに招待状を送った。それは、こちら(イギリス)へ来て、我々のヨットレースに参加しませんかという内容だった。

これを受けたニューヨークヨットクラブは、ここはひとつ世界最強の海洋国を誇るイギリス人たちの鼻を大いにあかしてやろうと発奮した。同クラブは当時のアメリカ造船技術の粋を集めて快速船を新たに建造し、大西洋を渡ってイギリスへ乗り込んだのである。このヨットの名前は「アメリカ号」と名づけられた。

アメリカ号が参加したのは、ワイト島一周レースだった。対するは最強を自負するイギリス・ヨット艦隊の14隻。多勢に無勢もいいところだが、このイギリス艦隊すべてをアメリカ号は破ってしまった。アメリカ号は堂々の1着でフィニッシュ。ちょうど避暑にカウズの別荘を訪れていたビクトリア女王もこのレースを観戦していた。イギリスのヨットマンたちの面子は丸潰れであったに違いない。この時にアメリカ号に贈られた銀製のカップがのちに「アメリカズカップ」と名づけられ、今日に続くのである。

カウズは、ヨット写真家の始祖のひとりとして名高いフランク・ビーケンが居を構えていたところでもある。19世紀の後半、ビーケンは海の上で使うための独自の木製カメラを製作し小さなボートに乗ってヨットや客船の写真を撮り始めた。両手で大きな木箱のようなカメラを支えるために、シャッターはゴムのレリーズを口にくわえて噛んで切るという独自のやり方で、美しいヨットの写真を数多く残している。ビーケン家のヨット写真業は子孫が代々受け継ぎ、カウズには今も「ビーケンオブカウズ」の事務所がある。写真フレームを店頭に飾り販売しているので、観光客にも人気の店となっている。1900年代前後に撮影された写真は今もプリントされて売られているが(もちろんすべてモノクローム)、当時の写真は雰囲気と気迫が満ちていて思わず見入ってしまう。

カウズのメインストリートである「ハイストリート」には船具屋や海の香りいっぱいの衣料店や土産物屋、そしてパブがひしめくように立ち並んでいて楽しい。飲み物はやはりまずビール。「ア・パイント・オブ・ラーガー」などとちょっとイギリス人風に鼻にかけた発音で注文をしてやろう。時代がついて黒光りのするカウンターにもたれて船を眺めつつ飲むビールの美味さは格別である。

ハイストリートはそのままロイヤルヨットスコードロンの重厚な石造りのソレント海峡に面したクラブハウスへと続いていく。ヨットレースの際にはこのクラブハウスのテラスが運営本部となり、海辺に並ぶスタートガン(本物の小砲)から合図の砲声が鳴らされる。

スコードロンを過ぎると、ソレント海峡沿いに海辺の散歩道が続く。見物の人たちはこの散歩道や、道に面した芝生の公園に寝そべったり、お弁当を広げたりしながら、目前の海峡で繰り広げられるヨットレースの模様を眺めることができる。船と人とが自然にひとつの風景に溶け込んでしまう。カウズは歴史のなせるわざを目の当たりに感じさせる奥深い海辺の町なのである。

2005年01月17日


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これが宮城県唐桑町の船大工、岩渕文雄氏の手になる櫓こぎ和船だ。写真は建造途中。唐桑の浦に面した氏の工場に満ちる気配は人を強烈に魅了する力を持っている

ソレント海峡はヨット、とりわけレースの世界でもっとも知られた海域のひとつだ

カウズの町は深い入り江に沿って開けている。夏のシーズン中、入り江の奥のマリーナにはヨットが溢れんばかりに集まる

ソレント海峡を間近に望むカウズの散歩道と公園。人々はヨットレースを眺めながらのんびりと休日を過ごす

カウズの表玄関にそびえる格式高いヨットクラブ、ロイヤルヨットスコードロンのクラブハウス

スコードロンのクラブハウスの下には小砲が並べられ、ヨットレースの号砲に使われている。立って紐を引いているのは、信号担当のオフィサー。その所作は作法にのっとり無駄がない

カウズのメインストリート「ハイストリート」。夏、とりわけカウズウイーク中、町はヨットマンと観光客でごった返す

そろいのユニホームで決めるヨットレーシングチーム

ハイストリートには多くのパブが立ち並び、夜が更けるまで賑わいは絶えない

ワイト島の景観は小さい島ながら変化に富んでいる。白い岩のつらなりは島の西端にあるニードルズと呼ばれるポイントで見られる風景