Column

世界の海辺

第11回
南アフリカ・ケープタウン

矢部 洋一 [ヤベヨウイチ]

1957年11月11日生まれ。海をフィールドとしてヨット、ボートの写真撮影を中心に、国際的に活躍するフォトグラファー。写真だけでなく、記者、編集、翻訳などの仕事を精力的にこなす。
●株式会社 舵社・チーフフォトグラファー
●有限会社 オフィスイレブン代表取締役
●英国王立オーシャンレーシングクラブ誌「シーホース」特約記者

アフリカ大陸の最南端から大西洋側を少し北へ上がったところにケープ半島という猛禽類の頭部のような形をした半島がある。この半島の先端は、有名な喜望峰という岬で、半島の付け根北側の湾奥にはケープタウンというこれまた有名な港町が開けている。

日本からは遠い。南回りにしろ、北回りにしろ、飛行機でもゆうに1日がかりの行程を経なければならない。だから、商用など特別な用向きでもなければ、旅行者が気軽に訪れてみようという目的地のリストにはなかなか入らない。

私が初めてケープタウンを訪れたのは2002年のことだった。港としての施設が整い、歴史のあるヨットクラブ(ロイヤル・ケープYC 1905年創立)があるケープタウンは欧米をスタート/フィニッシュ地とする数々の世界一周ヨットレースで、コース途中に設ける寄港地としてしばしば利用される。2002年も、アラウンド・アローンという名の単独世界一周ヨットレースがケープタウンを寄港地のひとつとした。この年のレースには、日本から海洋冒険家として知られる白石康次郎が出場していた。しかも彼を支援するスポンサーには、大海酒造も名を連ねていた。

レースの参加選手たちは寄港地に着くと、数週間の間、船の修理や補給を行い、そしてしばしの休養を取り、次のスタートに備える。いわば自動車レースのピットストップのようなものと言いたいが、彼ら休養は取らない。

このレースで白石は大変な苦労をした。レースがスタートして間もなく、彼の船のバランスを支える重りの部分にトラブルを生じ、おかげで彼は寄港地に着くたびに体を休める暇もなく連日船の修理に明け暮れなければならなかった。私は彼の撮影と、よろず手伝いのためにケープタウンを訪れた。

このとき現地で白石の大きな力になってくれたのは、日本鰹鮪漁業協同組合連合会(当時の名称)のケープタウン事務所の人々だった。ケープタウンは日本の遠洋マグロ延縄漁船にとって重要な補給基地である。南大西洋からの寒流とインド洋からの暖流とが出会うアフリカ大陸南端沖は、ミナミマグロ(インドマグロ)の良い漁場だ。

ケープタウンでの忙しい日々の合間に、ある晩“日かつ連”の方が町の鮨屋へと我々を案内してくれた。その店が出すマグロは天下一品だとのこと。専門家が太鼓判を押すだけあって、涙を誘うほどに美味しい鮨を頂いたのだが、それ以上に印象に残ったのは、要塞のごときその店の入り口だった。薄暗いネオンをつけた店が並ぶ通りの一画にあるその鮨屋に入るには、まず牢のような太い鉄格子の扉を抜けていかねばならなかった。

2008年3月、私は再びケープタウンを訪れた。今度は、同港から出発して、南アフリカの沿岸を巡る船旅に参加するためだ。ケープタウンの空港は、大がかりな拡張工事のまっ最中だった。2010年に開催されるサッカー・ワールドカップに向けての準備だという。町の中心部には6万8千人収容の大スタジアムや7つ星ホテルの建設も進められていた。そのスタジアムの近く、6年前にはこの町でもっとも危ない通りのひとつとされていた一帯は、すっかりきれいに整備され、通りをうろついていた危険な輩たちもどこかへ姿を消していた。それでも、「午後4時以降、町中をひとりで歩くのは止めた方がいい。夜でも安全に歩けるのはウォーターフロントの商業施設がある一帯だけだ」と地元の人からは忠告を受けた。

FIFAのワールドカップまではあと2年ほど。それまでに、町の状況はさらに大きく変わっていくのだろう。しかし発展していく町のはずれで、絶望的なまでに貧しい黒人の大集落とそこに暮らす人のあまりの多さを目の当たりにすると、この国の現実の困難さは門外漢にも容易に想像できる。

2008年11月4日

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ケープタウンのV&Aウォーターフロントは、ショッピングセンター、レストラン、ホテルなどが集まる観光の中心地。背後に町のシンボルであるテーブルマウンテンが見える

ウォーターフロントにて

ケープ岬の突端のひとつ、喜望峰。西欧人として初めてこの岬までたどり着いたポルトガル人船長、バルトロメウ・ディアスはここを「嵐の岬」と名付けた。彼の船はこの海で嵐に遭い、なかば漂流をしていたらしい。「希望の岬」と改名させたのはポルトガルの王様だった

ケープタウンの郊外にステレンボッシュという緑豊かな大学町がある。17世紀にオランダ人によって作られた町だが、ヨーロピアン・オークの並木と独特の建築様式で建てられた家並みが美しい

ステレンボッシュは良質なワインの産地としても知られている。この地のワイナリーのひとつ、Blaauwklippenの庭園内で見られるケープダッチ様式の見事な建物

テーブルマウンテンの裏側には、管理の行き届いた広大な国立植物園がある

ケープタウン沖から見るライオンズ・ヘッドとテーブルマウンテン。標高500mまでは家を建てることができるが、あとは国立公園となる。山のふもとは海を望み、南東の風から守られた一等地だ