Column

世界の海辺

第13回
Jクラスヨット
「エンデバー号」

矢部 洋一 [ヤベヨウイチ]

1957年11月11日生まれ。海をフィールドとしてヨット、ボートの写真撮影を中心に、国際的に活躍するフォトグラファー。写真だけでなく、記者、編集、翻訳などの仕事を精力的にこなす。
●株式会社 舵社・チーフフォトグラファー
●有限会社 オフィスイレブン代表取締役
●英国王立オーシャンレーシングクラブ誌「シーホース」特約記者

明けましておめでとうございます。今年も大海酒造さんを愛するすべての皆様に大いなる幸せが訪れますように。

さて、2009年の最初はやはりおめでたい感じの写真で始めたいと思う。おめでたいといえば、すぐに連想するのは富士山だ。そこで富士山の写りこんでいる写真を選んだ。

左の写真1は、富士山をバックに相模湾を走るエンデバー号である。エンデバーというのは、世界的に有名な大型の美しいクラシックヨットだ。今回はどこかの土地をご紹介するのではなく、エンデバーというヨットそのものをご紹介したい。豪華ヨットというのはこんな風になっているのか、すごいねえ、と知ってもらえれば嬉しい(なお、タイトルにあるJクラスとは、昔のヨットレース規則に基づく船のカテゴリーのひとつ。華やかさや隆盛をきわめた時代の象徴的な存在だった)。

このヨットを現在所有しているのは、ブラジルやスイスなどに農園や会社を持つ富裕な実業家だ。彼は日本人ではないが、大の日本びいきで、かねてから歴史的な名艇である自分のヨットを日本の海で走らせたいと望んでいた。

エンデバー号が初めて訪日を果たしたのは2007年のこと。このときは西宮の関西ヨットクラブや横浜のベイサイドマリーナなどに停泊して、ヨットファンの間では大いに話題となった。エンデバーはその年の冬にいったんニュージーランドへ移動してメインテナンスを受け、2008年に再び日本にやってきた。滞日中には、北京オリンピックのヨット競技会場にも招かれて、日本と青島を往復している。

エンデバーはなぜそれほどに有名なのか。それはこのヨットの外観の美しさもさることながら、その辿ってきた波乱の歴史にある。

エンデバーが進水したのは1934年、すなわち今から75年前、欧州で第2次世界大戦の始まる5年前のことだ。世界でもっとも長い歴史を持つヨットレースの最高峰といえば、アメリカズカップという大会だが、エンデバーはこのアメリカズカップを戦うために生まれてきたヨットだった。

アメリカズカップは19世紀半ばの英国に起源を持つ。しかし1870年にニューヨークで行なわれた第1回の大会以来、英国のヨットマンたちはこのカップに何度も挑戦を繰り返していたにもかかわらず、米国を破ることができなかった、世界の海を制覇した海洋大国、大英帝国人としてのプライドがこれを許すはずはない。

1934年のアメリカズカップに挑戦したのは、英国の航空機産業を率いる大富豪だった。彼は当時英国で超一流のヨット設計家と建造所に加えて、自らの会社の優秀な航空エンジニアを開発チームに加え、最先端技術を投入して米国に勝てる能力を持った革新的レーシングヨットを完成させた。それがエンデバー(全長約40メートル)である。しかし、挑戦のために米国へ向かって出港する直前になって、エンデバーに雇われていたプロのクルーたちが条件で折り合わずに辞めてしまうというハプニングが起きた。仕方なく、その富豪はセミプロのクルーを急遽寄せ集め、米国での戦いに臨んだが、技量不足は否めず、エンデバーは結局勝利をつかむことはできなかった。しかしエンデバーのヨットとしての優秀さは、その後英国に戻ったあとに数多くのヨットレースで証明されることになる。

第2次世界大戦を経て、エンデバーは何人ものオーナーの手に渡った。一時は解体業者に買い取られる寸前になったこともあったという。エンデバーのような大型の古いヨットを維持するというのは並大抵のことではない。オーナーに莫大な財力と、情熱がなければ到底続くものではないのだ。1970年になると、英国の川に半ば放置されていたエンデバーはそのまま沈没という最悪の運命を辿ってしまった。

川底に沈み、朽ち果てる寸前になっていたエンデバーを救ったのは、米国の富豪の女性だった。彼女はエンデバーを引き揚げ、オランダの有名な高級ヨット造船所にこれを持ち込み、5年間を費やして船の完全修復を実現させたのだった。1989年、エンデバーは55年前の進水当時のままに息を呑むほどに美しく甦った。以来、欧米の海やカリブ海でその優美な姿は常に賞賛の的になってきたのだが、これまで日本をはじめアジアの海には一度も来たことはなかった。

現在のオーナー氏は、この米国女性から数えて3人目となる。彼は言う。「私はこの船を所有しているとは思っていない。このような芸術品的な価値を持つヨットを個人が所有することなど許されるとは思わない。私は現在、このヨットの面倒を見る役割を得て、それを単にまっとうしているだけだ」。

2009年01月05日


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富士山を背景に、エンデバー号の優美なる帆走姿。今年が良い年となりますように

エンデバーの格調高いメインサロン。手前は古いコンパスを利用して作ったテーブル。向こうにダイニングテーブル。暖炉わきの本棚は、皮装のハードカバー本が並んでいるが、これは背表紙だけの飾りで、うしろは収納棚になっている

これはメインサロンをはじめ、各船室を照らす採光用のガラス。天井/デッキに埋め込まれている。光が刻々と変化して美しい

これはテーブルが傾いているのではなく、船が左に傾いて走っている状態。左右に揺れる船の中で、テーブル面が水平に保たれるよう、ジンバル式になっているのだ。椅子は倒れないようにワイヤーで固定されている

船内の後方に設けられたオーナー用の落ち着きあるステートルーム。まったくもって素敵だ

キッチンはこのように広いスペースが取られている。オーナーとその家族、ゲストを迎えるために、フランス人シェフがフルタイムで雇われている。ちなみにエンデバーの運航には船長を含めて全部で8~9人のクルーが雇われる

舵輪(ステアリングホイール)とコンパスにきれいな夕陽が射し込んだ