Column

世界の海辺

第15回
アドリア海クロアチアへの旅
その2

矢部 洋一 [ヤベヨウイチ]

1957年11月11日生まれ。海をフィールドとしてヨット、ボートの写真撮影を中心に、国際的に活躍するフォトグラファー。写真だけでなく、記者、編集、翻訳などの仕事を精力的にこなす。
●株式会社 舵社・チーフフォトグラファー
●有限会社 オフィスイレブン代表取締役
●英国王立オーシャンレーシングクラブ誌「シーホース」特約記者

アドリア海に面するクロアチア・ダルマチア地方南部最大の観光名所、ドブロブニクから旅は始まった。世界遺産として登録されているドブロブニクの港を抱く城塞都市は、15~17世紀にドブロブニク共和国のもとで繁栄をきわめたという。優秀な船乗りと造船技術に支えられた強力な商船団と貿易が繁栄の理由だった。小さな、しかし誇り高き海洋国家であった。

ドブロブニクではすばらしい観光ガイドの女性に町を案内してもらえた。クロアチアでは、観光の振興と、自らの国をより深く知ってもらう目的のために、観光ガイドの免許制度を設けている。公認ガイドとしてのライセンスを得るためには、難しい試験をパスしなければならない。人格の審査も含まれているらしい。だからライセンスを持つクロアチアのガイドたちはまことにレベルが高い。誰もが自分の住む土地についての深い知識と、それを知らせる情熱、そして親切心に溢れている。おかげで、旅の最初からクロアチアへの印象はきわめて良くなった。

ドブロブニクからレンタカーで北へ向かった。次の目的地はマルコ・ポーロの故郷と言われるコルチュラ島コルチュラの町である。途中、塩田の町、ストンを見、そしてペリェシャッチ半島という細長い半島を縦断し、その昔ドブロブニク共和国の船長たちが家を構え、その名残を留めるというオレビッチの町を通過していく。

ダルマチア地方のドライブは楽しい。よく整備された道路がアドリア海と、海に迫ってそそり立つ高い急峻な岩山との間を気持ちのいいカーブを描きながら縫っている。ペリェシャッチ半島に入れば、オレンジ、オリーブ、ブドウの畑が道の両側に続く。オープンカーであったなら、どんなにか楽しいだろう。

ペリェシャッチ半島は、その名を知られた葡萄酒の産地である。日本ではまだあまりお目にかかれないが、ダルマチア地方の葡萄酒は紀元前の遠い昔から、ギリシャにもその名を知られていたほどだと聞いた。ダルマチアの中でも、ペリェシャッチ半島。その中でもとりわけディンガッチと呼ばれる地域で収穫される葡萄で作られる「ディンガッチ」という種類のワインが秀逸である。ディンガッチは半島南西岸の、海に向かう急な斜面に広がる葡萄畑だ。土地の人によれば、太陽が空から、地面から、そして海からも降り、照り注ぐ、だから濃厚芳醇な酒ができるのだという。

ペリェシャッチ半島をつらぬく街道沿いには醸造所の看板が連なる。ゆっくりと時間を取って、小さな醸造所めぐりを楽しみながらの旅がぜひともお勧めである。

2009年3月4日

地図

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ドブロブニクの旧市街から車で30分ほど、川を少しさかのぼったところに大きなプレジャーボート用マリーナがある。川の対岸には古い教会があり、後背には山がそびえる景観の良いマリーナだ。チャーターボートの会社もこのマリーナに入っている

ペリェシャッチ半島の付け根にある塩田の町、ストン。塩は重要な戦略物資であったため、町は石積みの城壁(14~15世紀の建設)で囲まれ要塞化されていた

ペリェシャッチ半島と本土との間は深く狭い海峡になっていて、陸地からは川が注いでいるため、海は豊饒で、ストンのあたりでは牡蠣の養殖も盛んに行なわれている。ストンの牡蠣の味の良さは有名で、オーストリア皇帝も愛したといわれる

ペリェシャッチ半島の街道。緑豊かな山なみの風景と葡萄畑が続く

ペリェシャッチ半島に数多くある醸造所のひとつに立ち寄った

その醸造所の地下に設けられた試飲室。樫の木だろうか、分厚く年月を経たテーブルが存在感を発する。食器棚の上に置かれた古い帆船模型が貿易で栄えたダルマチアの歴史をしのばせる

ペリェシャッチ半島南西岸に広がる葡萄畑。海峡の向こうにうっすらと見えるのはコルチュラ島

昔、商船団の船長たちが多く家を構えたというオレビッチの町。町はずれの山の中腹にある教会は、ドブロブニク共和国の時代、海峡を見張り、敵の襲来をいち早く知らせるための役目も果たしていた

オレビッチの町の食堂。雰囲気よく、安くてうまい