Column

世界の海辺

第22回
フランス領ポリネシアマルケサス諸島 その3
ウアポウ島へ

矢部 洋一 [ヤベヨウイチ]

1957年11月11日生まれ。海をフィールドとしてヨット、ボートの写真撮影を中心に、国際的に活躍するフォトグラファー。写真だけでなく、記者、編集、翻訳などの仕事を精力的にこなす。
●株式会社 舵社・チーフフォトグラファー
●有限会社 オフィスイレブン代表取締役
●英国王立オーシャンレーシングクラブ誌「シーホース」特約記者

貨客船アラヌイ3は朝6時にウアポウ島ハカハウに入港した。前日に訪れたヌクヒバ島タイオハエからの距離はおよそ25海里(約45キロメートル)とごく近い。

アラヌイ3が港に着くと、前方甲板上ではすぐさま荷降ろしの作業が始まる。島の小さな港には土地の人々が大勢集まって、降ろされた荷物を車に積んだり、逆に島の物産を船に積み込んだりしてにわかに慌しくなる。この様子をデッキからぼんやりと眺めるのは楽しい。作業をするクルーたちの動きに無駄がないことや、運ばれる物資が豊かなことに感心する。聞けば、マルケサスに最新型の4WD車がたくさん走るようになり、物が豊かになったのはつい最近のことだという。

アラヌイ3のベテランガイドでウアポウ島に住むフランス人のディディエはこう教えてくれた。「1970年代までは、マルケサス諸島には車はなく、電気もなかった。80年代前半にようやく車と電気が入り、そのあとにテレビや衛星電話が入ってきた。島の人々は外の世界で何が起きているかを知るようになり、そして仕事を作って島の経済を良くするために働くようになった。90年代になって生活は豊かさを増していき、今に至っている。大金持ちはいないけれど、貧しい人もいない。島の人々は民芸品を作り、ロブスターや魚を獲ってタヒチに売り、果物やコプラ(ココヤシの実の核またはその胚乳を乾燥したもの。椰子油の原料:集英社・国語辞典より)を作って売る。さらに島民にはフランス政府からの援助がある。医療費や教育費は無料。もし学生がタヒチ島で学ぶ場合は生活費や渡航費も無料。車を買うときにも大きな援助がある」

マルケサスの伝統的な文化が復活を見るようになったのも1980年代以降のことだそうだ。19世紀半ばにフランスが島を統治するようになり、カトリックの布教が行なわれて以降、島の伝統文化は長い間にすっかり失われていたのだ。ディディエは続ける。「その昔、マルケサス諸島は南太平洋の島々の中でも、もっとも洗練された文明を持っていた。これは僕のセオリーだけれど、彼らは森に恵まれ、多くの果物に恵まれ、天候は暑過ぎず寒過ぎず。一年中パンの実やバナナが採れ、ハリケーンのような大きな嵐も来ない。このような自然の条件の下にあったから、生活は楽であり、より多くの時間を美的な文化の創造に費やすことができたのだと思う。強い男性と美しい女性、歌と踊り、そして芸術的なタトゥー。マルケサスのタトゥーは南太平洋でもっとも芸術性が高い」

ウアポウ島での午前のプログラムは、島を見下ろす丘の上に登り、そこから村へと下りていってマルケサスの伝統文化を復活させ継承する活動を行なう文化センターを訪れ、昼食をマルケサスの伝統料理を出す村で一番のレストラン「タタ・ロザリー」でいただく、というものだった。マルケサスの料理は魚の幸に豚に鶏、パンの実、タロイモ、果物がふんだんに使われて、自然の恵みが凝縮されてまことに美味しい。マルケサス諸島の沖でたくさん獲れるキハダマグロは、ライム果汁でしめられ、サラダと混ぜ合わせて、ココナッツミルクをかけ、ポワソン・クリュという料理になって出てくる。豚や鶏はアースオーブンと呼ばれる地中に組み上げる大地のオーブンでじっくりと焼き上げられて、パリパリの皮にジューシーで柔らかな肉となって現れる。うまいのなんの。マルケサスの男たち女たちは誰もが見るからに健康でたくましく輝いている。島の自然と食べ物がその大きな理由であることは明らかだ。

2011年1月11日

地図

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ウアポウ島ハカハウの港

ハカハウの村にある寄宿学校の調理教室で。マルケサス諸島の子供たちは8歳まで各島の学校で学んだあと、ここに入学して勉強を続ける

女性は美しく

男性は強くたくましく

マルケサス諸島沖はキハダマグロの好漁場

豚肉好きにはたまらないマルケサス料理

ココナツミルクとタピオカと、力の漲る食の数々

ウアポウ島ハカヘタウの海岸で見つかるフラワーストーン

ハカヘタウの村の民家で。若い息子が部屋の奥で一心にテレビゲームに向かっていたのが印象的だった。ここでも、か

ウアポウ島をハカヘタウ沖から望む。尖った帽子のような山が目印