
第21回
フランス領ポリネシア
マルケサス諸島 その2
矢部 洋一 [ヤベヨウイチ]
1957年11月11日生まれ。海をフィールドとしてヨット、ボートの写真撮影を中心に、国際的に活躍するフォトグラファー。写真だけでなく、記者、編集、翻訳などの仕事を精力的にこなす。
●株式会社 舵社・チーフフォトグラファー
●有限会社 オフィスイレブン代表取締役
●英国王立オーシャンレーシングクラブ誌「シーホース」特約記者
大自然の力が漲る島々、マルケサス諸島を貨客船「アラヌイ3」でめぐる旅はヌクヒバ島タイオヘアの港での乗船から始まった。本来、「アラヌイ3」の旅程は以下のようになっている。
第1日目 タヒチ島パペエテの桟橋から午前11時に出港
第2日目 トゥアモトゥ諸島ファカラバ環礁
第3日目 終日海上(航海)
第4日目 マルケサス諸島ウアポウ島(ハカハウ‐ハカヘタウ)
第5日目 同ヌクヒバ島(タイオハエ‐ハティヘウ‐タイピバイ)
第6日目 同ヒバオア島(アトゥオナ)
第7日目 同ファトゥヒバ島(オモア‐ハナバベ)
第8日目 同ヒバオア島(プアマウ‐ハナイアパ)
第9日目 同タフアタ島(バイタフ‐ハパトニ)
第10日目 同ウアフカ島(バイパペエ‐ハネ‐ホカトゥ)~ウアポウ島(ハカハウ)
第11日目 同ヌクヒバ島(タイオハエ)~ウアポウ(ハカハウ)
第12日目 終日海上(航海)
第13日目 トゥアモトゥ諸島ランギロア環礁
第14日目 タヒチ島パペエテの桟橋に午前9時30分頃帰港
全14日間のそれはそれは楽しく刺激的な旅である。ただ(前回もちょっと書いたが)、私の場合は日程の都合上、タヒチ島パペエテからの出港に間に合わず、第4日目、アラヌイ3がマルケサス諸島に到着して最初の島での合流としてもらった。
合流する港はヌクヒバ島の玄関口タイオハエの港だった。本来の旅程では、マルケサス諸島最初の港はウアポウ島のハカハウなのだが、私が参加した4月の第6回航海(アラヌイ3はマルケサス諸島への航海を年間17回行なっている)では、港の都合によってヌクヒバ島タイオハエ港が最初の港になった。離島のことであるから日程は天候や港の事情によって左右される。このときは旅程の変更が先に分かっていたので、飛行機も予約でき、途中合流にはだいぶ助かった。
タイオハエ港とはちょうど島の反対側になるヌクヒバの空港にはアラヌイ3の手配してくれた車が迎えに来た。もちろん乗り合いで、島の住人が3人同じ車に乗り込んできた。「どっから来たの?あら日本なの、ちょっとうちに寄っていきなさいよ」という南太平洋の島らしい和やかな会話がすぐに始まった。島には立派な舗装道路が通っている。盟主であるフランスの援助が十分に行き渡っているようだ。ときおり行き交う車もま新しい4WDばかりで、トヨタのランドクルーザーもよく見かけられる。あんな高い車を皆よく買えるねえと聞けば、島の人が車を買う場合には4割近くの代金をフランス政府が援助してくれて、7年の分割払いができるのだという。へぇと驚いていたら、車はアラヌイ3に到着した。
タイオハエ港に接岸していたアラヌイ3はきれいな船だった。貨客船として最初から建造された船であるため、貨物船としても客船としても機能的によくできている。早速スタッフが船室に案内をしてくれた。今回の部屋はスターデッキ(上から2層目)にあるスイート4。窓が大きく、小さなバルコニーもついていてまことに快適だ。アラヌイ3には客用の船室が全部で86キャビンあり、さらに2段ベッドが置かれた部屋もあって安い運賃で島に渡りたい地元の住民たちやバックパッカーに利用されている。アラヌイは、もとは純粋な貨物船として運航され、デッキや船倉を地元の人々の移動用に使わせていたという成り立ちがある。だから貨客船となったアラヌイ3にもこれに相当する機能を持たせているのだろう。
さて、アラヌイ3はタイオハエからいよいよマルケサス諸島周遊の旅を始める。第5日目の目的地は、ヌクヒバ島のすぐ南にあるウアポウ島だ。(つづく)
2010年12月20日

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