Column

世界の海辺

第9回
北極圏の海、ノルウェー・スヴァールバル諸島へ
その1

矢部 洋一 [ヤベヨウイチ]

1957年11月11日生まれ。海をフィールドとしてヨット、ボートの写真撮影を中心に、国際的に活躍するフォトグラファー。写真だけでなく、記者、編集、翻訳などの仕事を精力的にこなす。
●株式会社 舵社・チーフフォトグラファー
●有限会社 オフィスイレブン代表取締役
●英国王立オーシャンレーシングクラブ誌「シーホース」特約記者

北極圏でネイチャーガイドをしながら、鷲の研究をしていた男性が、南極で同じくネイチャーガイドをしていた女性とある時めぐり会った。ともにスウェーデン出身の2人は、やがて一緒に小さな旅行会社をストックホルムで始めた。彼らが客に提供するプログラムは、お互いの専門分野である極地への旅。あまり大きくない船をチャーターして、少人数のグループを集め、質の高いガイドをつけて、極圏の壮大な自然を深く体感し、学習してもらおうというのが彼らの考えだった。

今でこそ、エデュケーショナルクルーズ(お勉強クルーズ)という呼び名で世界中の多くの旅行会社が冒険的な気分を加味したこの手の旅行を販売しているが、彼らはその先駆けのひとつだった。会社の名前はポーラークエストといい、今では多くのリピーター客を持って成功を収めている。

北緯76~81度、東経10~30度、ノルウェー王国と北極点とのちょうど中間くらいに位置するスヴァールバル諸島(注1)は、北極圏の海と自然を見るツアーにはもっとも人気の高い目的地のひとつだ。

2006年8月、私はポーラークエストが主催する「ポーラーベア・アドベンチャーズ」(ホッキョクグマに出会う冒険旅行)と名付けられたスヴァールバル諸島を巡る船旅を取材した。出発の数週間前には、詳細な旅の案内を記したファイルが送られてきた。その中には持ち物チェックリストが含まれていて、インナーレイヤー(肌着)から始まり、ミドル、アウターレイヤー、帽子、手袋、足回り、バッグ、その他の持参すべき装備品が本格的に細かく説明され、極圏の旅へのわくわく感を刺激する。

陸地のおよそ6割が氷河に覆われるスヴァールバル諸島への玄関口は、諸島中もっとも大きな島、スピッツベルゲン島のロングイヤービーエンという町。オスローを経由して飛行機で入るのが一般的だ。石炭の出るこの町には以前多くの炭鉱労働者が住んでいた。しかし現在の住人の中心は観光業関係者と、この地に設けられた国際的な研究施設や観測所で働く学者や研究者たちである。

オスローからの乗り継ぎ便がロングイヤービーエンに到着したのは午前0時を過ぎていた。外気温は摂氏プラス5度。意外に暖かい。スヴァールバル諸島には暖流のメキシコ湾流の末端が流れ込んでいるために、夏の気候は比較的穏やかなのだという。

町の小高い丘の上に建つホテルに入り、熱いシャワーを浴びてベッドに倒れこんだ。白夜のもとでうっすらと窓外に見える北の果ての荒涼とした景色と近代的な設備の整う快適なホテルとが不思議な違和感を誘う。翌朝気づいたのだが、ホテルの玄関には、「靴を脱いでお入り下さい」という小さな張り紙がしてあった。ロビーを見るとなるほど靴下で歩いている人が多い。これはロングイヤービーエンの古くからの習慣で、昔、石炭が盛んに掘り出されていたときに、炭鉱の仕事で汚れた靴を家の中に入れないようにすることから始まったのだそうだ。

昼間はロングイヤービーエンの町を散策し、博物館などを見たあと、いよいよ乗船となる。船名は「MSオリゴ」。1955年に進水をし、灯台の管理船として長く活躍をした、砕氷船に準ずる性能を有する年季の入った船だ。ゲスト用のキャビンは全部で12室だけ。国籍も年齢もさまざまな客が乗りこんできた。

「今年(2006年)は6月にヒンローペン海峡(スピッツベルゲン島の北東)を通ることができた。普通なら7月末から8月までは海氷で閉ざされているところだ。例年に比べて2度ほど海水温が高くなっている。海氷がないということは、ホッキョクグマが狩りをできないということを意味する。我々の船がどういうコースで進むか、通常なら海氷の状況次第で決めていくのだけれど、今年はどうやら天候次第ということになりそうだ」。

乗船後のブリーフィングで、ガイドとして同行するウラ・カールソンが、明日からの航程は?と聞かれてこう答えた。彼は極圏でのガイド歴17年というベテランだ。さて、面白い船旅が始まった。 (つづく

(注1)日本語の表記には、スヴァルバールあるいはスバルバードなどあるのだが、ここではノルウェー大使館の表記に合わせた。

2008年9月17日


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ロングイヤービーエンの町

スピッツベルゲン島を西沿岸から望む

流氷の浮かぶ北緯81度の海

スピッツベルゲン島北部のモナコ氷河

MSオリゴの雰囲気溢れる船内

陽気な女性シェフが船上で北欧料理を楽しませる

深く切れ込んだフィヨルドへと進むMSオリゴ